この秋から新設される音楽コースの番頭をさせていただく長尾と申します。
美学校では、古くは小杉武久さん、近年ではL?K?Oさんや伊東篤宏さんらを講師にお招きし、音楽のクラスを行なってきました。そうした伝統を引き継ぎ、発展させるべく、音楽コースを充実させていければと思っています。よろしくおねがいします。
さて2012年の現在、やれCDが売れないだの、著作権法改正だの、音楽産業を巡るニュースは、必ずしも明るいものばかりではありません。
しかし、個人が音楽を作る/楽しむ環境は、かつてないほどに充実していると思います。
毎週あらゆる場所でチェック仕切れないほどのイベントが行なわれ、そこには無数のコミュニティがあり、各人が自由に各自の志向を謳歌できる。東京近郊にお住まいの音楽好きの方であれば、こうした状況は良くお分かりの事と思います。
そうした細分化したシーン、セグメントされた多様性を楽しむ様々な作り手&聴き手が、この美学校・音楽コースという場で混ざり合うこと。それこそが、この講座の大きな可能性であると考えています。
ネット〜SNS等は本当に便利で、コミュニケーションの拡大を多いに促進していますが、やはりそれだけでは片手落ちです。オンラインだけでは、混ざり合わない/繋がらない、文化やコミュニティ間のミゾは、確実に存在します。
しかし、そのような、ハイコンテクスト文化であるが故の『超えられない壁』は、『実際に同じ場で出会う』というシンプル且つアナログな解決策であっさり乗り越えられたりもします。「趣味は全然違うけど、しゃべってみたら何となく気が合った」これで万事OK。
あとは一緒にコラボ作品を作ったり、好きな音源やイベントを紹介し合ったり、SNSアカウントを交換したり、呑みに行ったりすればよいのです。
学校というのは、偶然にもいろんな人が集まり、否応無くいろんな考えが混ざり合うアーキテクチャです。そして、そんな『未知との遭遇』は、いつだって僕たちをわくわくさせてくれることでしょう。
是非音楽コースをチェックしてみてください。
さて、堅苦しい挨拶はこのあたりにして…
先日、音楽コース立ち上げにあたって急遽開催された『美学校・講師サミット』の様子をレポートしていきます。
パネリストは、岸野雄一、大谷能生、高山博、中ザワヒデキ、松蔭浩之、マジック・コバヤシの6名+代表の藤川公三とゲスト参加の佐藤直樹(敬称略)です。
今回のサミットでは大きなテーマとして『そもそも表現って教えられるの?』という所から切り込んで頂きました。
藤川「教える、教わるっていうのはなんだろう。学校って必要なのか。というのをいつも考えているわけです」
藤川「この場所を作るのは基本的に「出会い」の為です。出会いが重要なんです」
岸野「経験を組織化するというかね、そういうのはとても重要だと思います。家でなんでもできる時代とか言っていますが、何も起きないですからね。家にいたら」
松蔭「先生はナビゲーターでいいんです。抑圧はいけない」
大谷「そうとう説明しないとおもしろく思ってもらえないという時もあります。キックの四つ打ちがどれだけ面白いかっていうのを説明するのに100年分の音楽史を話すんですよね」
高山「時間軸上に音を乗せていって何らかのものを作る。そして本人が作品と呼べるような物にするという感じで授業を進めています。
松蔭「僕はモダニズムやダンディズムを伝承したい。同じ事を言い続ける」
岸野「僕は生徒から教わる事の方が多いです」